先週、ある患者さんのお宅へ死亡確認に行ったときのことでした。
大腸癌で手術をして以降、4年あまり、治療もなくなって最後の時間を自宅で、奥さん息子さんの看病介護を受けて過ごして亡くなられたのでした。
最後の数日は特に介護が大変だったこともあって
達成感・・・とでもいうのでしょうか、十分してあげられた、という気持ちが
「これで、良かったんですよね・・・」という奥さんの言葉に表れていました。
終始、落ち着いて話されていました。
御家族に介護方法の説明をするNs.かおりん。
(本文とは関係ありません)
死亡診断書を用意しているあいだ、診療同行の Ns.さいちゃんが
奥さんといろいろ話をしてくれていたのですが、その中で、奥さんがこんなことを言われていました。
「小学生の孫娘(離れて住んでいる)が2人いるんですけど、 しょっちゅう けんかするたびに ”死ね!”とか平気で言うんです。
日頃からやめなさいと言って怒ってもなかなか聞かないので、 数日前にここ(ベッドサイド)へ連れてきて
“あんたたち、死ね死ね言うとるけど、ひとが死ぬと言うことがどういうことか、 どれだけしんどいことなのか、よーく見ておきなさい!!”といって叱ったんです。
6年生の子は(言わんとするところが)たぶんわかったんでしょう。
下の3年生の子は、わかった、と言ってはいたけれど、うーん・・・どうかなぁ・・・」
お孫さんたちに対しての、おじいちゃん、おばあちゃんからの何よりの命の教育ですね。
自宅で亡くなる死亡者数と病院のそれとの比率が逆転したのが1975年頃で、現在 約8割の人が病院で亡くなる時代です。
その結果、日常にあった おじいちゃんおばあちゃん世代の死が、いつの間にか子供たちからも遠ざけられてしまっている。
結果としての死 でなく、死に至るまでどういう経過をたどり、それを見守る家族がどういう思いで過ごすのかが、病院に押し込められてしまった死からはなかなか見えてこない。
程度を知らない喧嘩やいじめなどの社会問題も、こういう社会背景が影響しているような気がします。
在宅で最期までみてあげることは、介護する御家族も大変ですが
限られた時間を 望みの環境で過ごしたい、過ごさせてあげたい、という希望があるときは
それがかなえられる選択肢を持ってもらいたいと思い、我々スタッフ一同も頑張っています。
命には限りがあること、そして死とはどういうことなのか、を
このお孫さんたちは おじいちゃんの死を通して、何かしらきっと感じたことでしょう。
ももたろ