山陽新聞 夕刊に 1月末まで 毎週木曜にコラム「一日一題」を担当していました。
遅ればせながら、ですが 少しずつブログでも紹介しています。
高齢の患者さんで 腎不全が悪化して、いよいよ透析を導入しないといけないかな、と思われ そのように話をすることが時々あります。
そんなとき、それまでに聞いた透析を受けていた他の方の話とか、あるいは自分の考えとかで、受けたくないとはっきり言われる方もあります。そんな患者さんの中の1人の方のエピソードです。
命が尽きる「その時」までをどう生きるか。
言わば、その時までの「生き方」の選択を自分の意思で決定する・・・
自己決定権の行使・・・というと大袈裟ですが、要は自分でしたいように決めてその通りにすることで、それはそれで良いのではないかと思います。その意思を尊重し支えることができれば良いのですが、治療を目的とした入院医療では数々の制約があってなかなか難しいかもしれません。
・・・自己決定に寄り沿う在宅医療だからこそ可能なこともあるのかもしれません。
82歳の茂さんは長年患った糖尿病からくる慢性腎不全で透析を何度も勧められながらも、透析は受けないと決めていた。腎不全から尿毒症が進行していたが、制約の多かった長い入院生活をやめて覚悟の上で帰ってきた。念願の自宅に戻ったとき「やっと帰ってきた・・・」といって涙を浮かべていたという。
それからの2週間、茂さんは家族と気ままに家で過ごした。
尿毒症からくる皮膚の痒みと倦怠感の症状を緩和しつつ思い通りに過ごしてもらうことが私にしてあげられることだった。はじめは自宅で点滴もしていたが、尿が出なくなり本人も嫌がったので中止した。
入院中の糖尿病食の制限もやめて家では何でも欲しがる物を食べてもらった。
夜中に作ってもらったインスタントラーメン、近所の人からもらったどら焼き。ホルモンうどんも食べビールも飲んだ。孫がきたとき散髪もしてもらった。時折近所の人達が見舞いに訪れてベッドの横で世間話に花が咲いていた。
次第に衰弱して孫が買ってきた巻き寿司も食べられなくなった。そして家に帰って2週間経った日の夕方、奥さんがいつものように夕食の準備をしようと腰を上げたところで呼吸が止まった。
人生最期の幕引きを自分で決めて思い通りに過ごした2週間だった。
透析を受けながら節制して長く生きる選択肢もあったが、茂さんは短くとも自由に過ごすことを選んだ。
最後の時までをどこでどのように過ごすか。それは本人が決めればよいが、たとえ治療に背を向けた選択肢を選んだとしてもその意志を尊重し最後まで寄り添える在宅医療でありたいと思う。