先日、高梁川沿いに紅葉の峡谷を通り抜けてドライブしてきました。
お目当ては、高梁市歴史美術館の企画展「石村嘉成展 ~色をまとう動物たち~」です。
色彩の美しさと動物たちの眼力に引き込まれ、あっという間に1時間が過ぎたころ… ベンチにラミコートされた新聞記事を見つけました。その記事は、自閉症と診断された嘉成さんとお母さんの歩みが記事になったものでした。
誰もが助けたくなるような愛される子に育てたい」
と、嘉成さんの療育が始まりました。
この紙面で詳細は記せませんが、悩みながらも、信念をもって、丁寧に子育てをされた様子が書かれていました。おかあさんは、嘉成さんが11歳のとき、40歳の若さで他界されたのですが、嘉成さんが9歳の時には、こう記されています。
時々つるがこんがらがるけど…。自分なりの花を咲かせてほしい。
嘉成はどんな花を咲かせるのだろう」
私自身の子育てを振り返ってみると、我が子に身体や脳に病気と呼ばれるものはありませんでしたが、悩みは多かったように思います。
その悩みの多くは、わが子が周囲の子と比べてどうだとか、親である自分の価値観と比べてどうだとかいう類ものでした。枠にはめるための子育ては、枠内にいる間は楽でしたし、正解のように思えていましたが、いざ枠からはみ出るようなことが起こると、お互いに消耗するし、毎日が楽しくない…。
でも、何のために枠内にいなきゃいけないのか…と思い至ったとき、子育ての方法も時間軸も無限大に広がったように感じました。それからは、私がわが子に教えることは、人に迷惑をかけないこと、そして毎日を丁寧に暮らすこと・・・とてもシンプルだったように思います。
療育という言葉を調べてみると、「医療的ケアが必要な障害児に対する教育・育成を指して造られた言葉だが、近年は発達障害児に対して特性に配慮した支援を表す言葉として使われるケースが多い」とありました。確かに、医療的ケアが必要なお子さんの子育ては、たくさんの配慮が必要で、ご両親の心配やご負担も多いことと思います。ただ、子どもを育てることにおいては、障害の有無に関わらず、「愛される子に・・・」「自分なりの花を・・・」と、その目指すところは同じで、そのためにその子の特性を読みとって必要な配慮をしながら成長を支援するというという心持ちに違いはないことに気づきます。
診療に伺うと、自分とは価値観の異なる患者さんやご家族に出会うことがあります。違いに目を向けすぎると、自分の価値観の枠に当てはめたくなりますが、それは関係性を邪魔することの方が多いように思います。どのような状況・条件に置かれた人でも、目指すところは同じなのです・・・
できるだけ穏やかに、その人らしい生活を送ること・・・
そこを支えていけるように精進していきたいと認識できた1日でした。 (は)