山陽新聞夕刊コラム「一日一題」を毎週木曜日に担当しています。
患者さんの家に行くと 犬や猫、金魚、ウサギ、など いろんなペットに出会います。
家族同然に過ごしている動物もいます。
そんな診療の一コマから。
短くタイトルをつけるのは本当に難しいので、いつも適切なタイトルをつけて下さる編集者のかたには頭が下がります。
が、今回はここではタイトルを変えてみました。
飼い犬が私を見送りに来たこともさながら、そのことよりもむしろ、家族の一員として患者さんに起こっていることを白い犬が全て理解していたと思われたことのほうが 私には驚きであり印象に残りましたので。
その家の門を初めてくぐったとき、白い犬にいきなり吠えられた。
敷地に放し飼いの犬がいると聞いたのをすっかり忘れていた。
それから2ヶ月間、訪問診療のたびに吠えられた。56歳の恵子さんは人生最期の時間を自宅で過ごすと決め、家族も懸命に介護を続けた。
やがて危篤状態になって往診したその日、いつも吠える所に犬はいなかった。
リビングの日当たりの良い窓際に置かれたベッドで診察する。
病状にあわせ点滴を絞ってきたので痰もむくみもなく麻薬の貼り薬で痛みもない。
血圧が下がり静かに浅い呼吸で眠る。犬はベッドから窓ひとつ隔てた家の外のデッキで、寒い中動かずじっと座ってこちらを見ていた。
週末には賑やか好きの恵子さんのために親族友人が十数人集まり部屋はまるで宴会場だったが、今は夫と息子娘、高齢の母がベッドを囲んで座っている。
ストーブに置いたやかんの湯が沸騰する音だけが静けさの中に響く。残された時間は数時間であろうと告げて次の患家へ向かった。
3時間ほど経ち「呼吸が止まりました」と最期を看取った家族から落ち着いた声で連絡が入った。その日2度めの往診に赴いた時、やはり犬は吠えなかった。最後の診察で臨終を告げたときも窓の外に目をやると外からこちらを見ていた。
家族が看護師と一緒に体を拭いて化粧し、旅立ちの衣装にとお気に入りの服に更衣している間もじっと座っていた。死亡診断書を書き終え挨拶して帰るとき、白い犬はいつの間にか門まで出てきて吠えるどころかしっぽを振って見送ってくれた。私には犬が礼を言いに来たように思えた。