御夫婦で訪問に伺っていたお宅へ定期訪問に行きました。御主人は94歳で慢性心不全・心房細動があり、ほとんど目が見えなくなって家の中でも転んでしまう状態。奥さんの方は90歳、パーキンソン病に加えて圧迫骨折後で腰が曲がって腰痛もひどい状態で、ベッド上寝たきりで過ごしています。5年前に娘さんが介護のために実家に戻ってこられ、2人の介護をされていました。実は、その御主人が先週自宅で亡くなったのです。午前3時過ぎに連絡があり、訪問して死亡確認。死因に”老衰”と書いた死亡診断書を用意しているあいだ、その日当番で出てきてくれて一緒に訪問したナースじゅんじゅんが死後の処置をしてくれました。あれから6日、・・・奥さんもまだ悲しみさめやらぬ状態ではないかと気になっていたので、忙しい診療スケジュールではありましたが時間をかけていろいろお話を聞きました。>小さな声で訥々と静かに話す語り口は、ほんとに”おばあちゃん”の昔話をきいているような感じです。「デイサービスの人が・・・な、・・・7人して みんなで来てくれた・・・ももたろうの看護婦さんが綺麗にしてくれてな、背広を着せてくれたんじゃ・・・夜中じゃったけど・・・ わざわざ来てくれて、・・・ももたろうの看護婦さんが、綺麗にしてくれてな・・・おじいさんに・・・背広を着せてくれたんじゃ・・・
(娘さん) おばあさん、それはさっきも言ようったが・・・・
うん、わかっとるよ、・・・・でも何回でも言うんよ・・・
あんな夜中の時間に、このごろ誰も来てくれる先生も看護婦さんもおらんのに、わざわざ来てくれたんよ・・・・・
次の日に、うちから最後に出るとき(葬儀場へ移動するとき)にな、ここ(ベッドの横)まで連れてきてくれた・・・
・・・背広を着せてもろうとった・・・ええ顔しとったな・・・
おじいさんは家が虫明の生まれでな・・・・・私が瀬戸町・・・
おじいさん、若い頃に満州へ兵隊で行って帰ってから、航空隊におったんじゃ・・・・・
おじいさんが27のとき私が23で 結婚してな、・・・
おじいさんが次男じゃったから私の里の瀬戸へおったけど カネボウに勤めるようになったからこっちへ来たんじゃ・・・
この子(傍にいる娘さん)が生まれて4歳のときじゃった。
カネボウに定年まで勤めて、それから東洋ベアリングへ月に10日ほど勤めりゃええ言うて15年ほど行ったかな・・・・・
亡くなったおじいさんの昔の思い出を語る眼にはうっすら涙を浮かべておられました。
67年一緒に連れ添ってきた御主人を亡くされたのだから無理もありません。
葬儀の慌ただしさからしばらく経って落ち着いた頃に故人のことを少しでも遺族の方から聞いてあげて、偲ぶ思いに浸る時間をしっかりとることが、明日からの生きる力につながる何よりのグリーフ・ケアになるのではないかと感じます。
帰る前に娘さんが玄関先で、日頃とちがってわざわざ改まって挨拶されました。
「前はおじいさんを連れて、皮膚科も耳鼻科もあちこち
おばあさんが居るのを置いて連れて行かないといけなかったのに、 来ていただけるようになって いつもみていただいて助かりました。
デイサービスにも行けるようになって、好きだった風呂にもはいれて、 ほんとうに良かったと思います。
おばあさんがいますから、これからも宜しくお願いしますね。」
我々が診療に行くようになるまでは、通院自体が本当に大変だったのでしょう。
あの日はたしか、夜11時過ぎに西のほうで癌の末期で亡くなった患者さんがあって
死亡確認して夜中1時頃に帰ってやれやれ、1時間ほど横になったところで3時過ぎに連絡を受けてそのまま出かけた日でした。
次の日の診療がかなりきつかったのですが、その疲れも消し飛ぶような感謝の言葉を頂きました。
それにしても ナースじゅんじゅん、患者さんの心に残る、いい仕事してくれました!
ももたろ