新聞をみていたら、印象に残る投書がありました。
(産経新聞 6月24日 19面) 自らの”死に方”というか、仙台往診クリニックの川島先生の言葉を借りて言うならば
死んだ後のことは誰もわからないし伝えることもできない、従って死ぬまでの「生き方」だということになるのですが、その生き方を自分で決めて、最期の時間を好きなように過ごす。ただ”生かされるだけ”の生き方でなく、たとえそれが自らの死を意味することであろうと、主体的に選び取ってゆく…本来、自分の人生のはずなのに、そこまで自分で決められる、そういう生き方ができる人はなかなかいないんじゃないか。
今の日本には、本人の意思とは関係なく1分1秒を長く生き長らえる選択肢はあるのに、自分の好きなように過ごして死ぬという選択肢がない…というか、提示されることもあまりなくて、なんとなく病院で提示されるがままの治療ルートにのっかってしまう。そして気がついたときには本人の意思が表示できるような段階ではなくなるほど状態が悪くなってしまっている…そんな、ありがちなパターンの患者さんをがんセンター時代にたくさんみてきたので新聞の投書記事の話がよけいに印象に残ったのかもしれません。そうしたら、その記事を見たちょうど2日後に、記事にあったのと同じような患者さんに関わることになりました。
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COMMENT: 雲南ナース やっぱり…覚えていなかった…と言うか、たぶん似たようなことは良く言ってましたねぇ。ホント、ずーと思っていたんじゃないかなぁ。こっちは今話題の地方の病院になっています。先生がいた頃はよかった…あんなに賑やかだったのに、今は先生もあの頃の半分ぐらいかなでも一ついいことは、医学生さんが来てくれる事。先生の後輩達が続々と。今年の秋からは看護学生さんも訪問看護の実習にくることになりました。在宅を感じてくれると嬉しいなと思っています。
<質問です。>ALSで呼吸器使用のかたが、最近熟睡されるとリーク音がします。カフを軽くつまむと音が消え、また、覚醒されても消えます。カフは定量で管理しているので、退院時から量は変わっていません。熟睡で気管に変化がおこるのでしょうか?また、今は少しずつエアーの追加で対応していますが、どうでしょうか?
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COMMENT: まっちゃん 私も常々、死に方を含めて生き方だと感じます。しかし『道がないのか、はたまた、余計なものがあり過ぎて道が見えないだけなのか』。選べない時代は、それはそれで、覚悟ができてシンプルだから、悩むことも少なかったのでしょう。下手に方法があるのも、難儀ですねぇ。って贅沢!? でも、結局のところ、今も昔も、生きてきた様にしか死ねないのは、自然なこと。全ての結果には原因がある。生き様≒死に様だと思い知らされます。今まで無意識に、深く介入しなかった部分に目を向けると、『人に歴史あり!』と実感します。ドラマチックです!縁あって関わった人々と、互いの人生を交えるのも、この仕事の醍醐味なんでしょうか。疲れますが…
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COMMENT: AUTHOR: 雲南ナース 度々登場ですみません。先生の話と、まっちゃんさんのコメントを拝見しました。訪問看護師として毎日毎日悩んでいます。患者さま、ご家族さまが、残された大切な時間をどう過ごされるか。そして、どう過ごされたか。自分達の関わりがどんな影響を与えるのか。実際恐ろしくなる時があります。先日も『自然に…』『いつもの時間の中で』と在宅での看取りを希望された二人の方に関わらせて頂きました。『自然に』って?『いつもの時間』って?結局、はっきりとした答えは出ませんでした。
というより、いっぱいあったんです。たったこれだけのことに選択肢が!(というか、私の頭の中にあったその回答が、極々一部でしかなかったというだけなんですが…。)その人なりの『自然』その人なりの『いつも』と向き合う努力をしたんですが…難しかった…
なかなか醍醐味って感じになりません…でも穏やかに旅立たれました。これが答えなのかな…
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COMMENT: ももたろ 雲南ナースさん…ALSのレスピ付きの患者さんも診てるんですね。<<カフは定量で管理しているので、退院時から量は変わっていません。熟睡で気管に変化がおこるのでしょうか?>>
おーっと・・・ 難しい質問ですね。みてないので何とも言えませんが、カフ圧が同じと仮定すると ①カフ周囲の問題(気管壁等) ②胸腔コンプライアンスの変化 の2つの要素があるような気がします。①では熟睡と覚醒で気管壁の径が変わることは考えにくいですが、頭や首の位置が微妙に変わることでわずかなエア・リークにつながる可能性があるかもしれません。覚醒時と熟睡時で頭や首の位置や角度は全く同じでしょうか? ②では基本的にALSで呼吸筋麻痺があるとすると、意識があろうとなかろうと呼吸筋は麻痺しているのでこれは違うように思います。あと、レスピ設定が従量式か従圧式かによっても違いが出てくるでしょう。
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COMMENT: ももたろ まっちゃん、雲南なーすさん、皆さんそれぞれに、頑張ってますね。<<今まで無意識に、深く介入しなかった部分に目を向けると、『人に歴史あり!』と実感します。ドラマチックです!>>
ほんと、これが医療という人の生き死にに携わる仕事の面白みかなぁと思います。
<<『自然に』『いつもの時間』~いっぱいあったんです。たったこれだけのことに選択肢が!その人なりの『自然』その人なりの『いつも』と向き合う努力をしたんですが…>>
無理に努力しなくても 患者さん本人と家族がいつものように家で過ごしてもらえれば、それが「自然」で「いつも」になるんじゃないか・・・・病院とかじゃなくて長年過ごしてきた家だと、何だかよくわからないけど「在宅力」でもって勝手にそうなってしまうのではないかと、最近そう感じます。
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COMMENT: 雲南ナース ご回答ありがとうございました。すっかり我が物顔で質問コーナーにしてしまって…すみません。と言いながらまたまた登場です。主治医に尋ねればいい話なんですがぁ…そこが難しいところで…ご察しください。ご自分では体を動かす事はできず、頭、首、回路等は他動的に調整しています。覚醒時、熟睡時でそこのところの調整をさほど変化させていないように思いますが、観察してみます。ちなみに機種はLTV1150.従量式 SIMV 設定。最近はトリガせず、バックアップ換気だけで、一回換気量も設定値の400前後、気管内圧は20前後(だんだんと上がってきました)コンプライアンスは悪くなってきているかなと話しています。カフは3~4回/日定期的に入れ換えしています。そんな中でここ最近、熟睡されると突然エアリーク音が出現して、一回換気量も50~100近く低下します。圧は18程度に落ちます。あ”ー 難しい。また勉強会でもあったら教えてください。岡山くらいなら頑張って出動します。
“在宅力”はすごく感じます。代替え療法ではないですが、なんだか自分で治っていこうとする不思議な力が、出ているようなそんな感じ。かな。無理はやめますか。うん。そうします。ありがとうございました。