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2011年5月16日

もうええじゃろう・・・

90もすぎてこの歳まで生きたんじゃから、もうええじゃろう・・・。
食べれんようになったら人間おしまいじゃから・・・。

そういって笑う Mさんは 癌のため、狭くなった食道にステントが入っていて、飲み込むたびつかえて ”ひょんなげな感じがする” ので、だんだん食べられなくなってきました。薬の効果で痛みもなく、ただ食べられないだけ。だんだんと痩せてゆくその様子は 老衰と言ってよいくらいです。認知症も全然なくて言うことも全く普通でしっかりされています。

あの歳であれだけしっかりされているのは珍しいくらいです。積極的に勧めるわけではないですが、水分や栄養が口から入らないときの一般的な選択肢として、経管栄養(鼻から管を入れて栄養を胃に入れる方法。病状を考えると胃瘻はとても無理)もあることを話すと、横で聞いているお嫁さんの心配そうな面持ちとは対照的に

「そんなにしてまで生きとらんでも良かろう・・・」と

即座に明言されました。なかばあきらめとも受け取れるような言葉に最初は戸惑ったものでしたが、入院して管だらけになるより、特別なことは何もせず今のままで、いつもの居場所で楽に過ごしたいという希望を言われているにすぎないのだとわかりました。自分ではっきりと意思表示できる方の場合は、その通りしてあげたらよいので対応しやすいです。
伝い歩きでトイレに行っていたのが、脚力が落ちてそれもできなくなりオムツで取ってもらうようになった今でも、それでも這ってトイレに行こうとすることがあるようです。赤ん坊が大きくなってゆくときと 全く逆の経過をたどることをいつもお話します。しかし一番の違いは、どんなに動けなくても、排泄という尊厳に関わることは、頭がしっかりしている限り、最後まで自分で何とかしたいと思う高齢の方はやはり多いそうです。

お孫さんが乳呑み児の曾孫を連れて訪れると、とてもいい顔をしてあやしています。自分のDNAを引き継いだ孫や曾孫の世代をみるのを楽しみにしながら、次第に枯れてゆく自分の運命をしっかりと受けとめているようにも見えました。麻薬を使って、ほとんど痛みはなく、いつもの自分の部屋で過ごし、時々は孫や曾孫が様子を見に訪れてくれる。玄関には2匹の犬がいつものように昼寝をしていて、家の前の畑ではトウモロコシの背がが行くたびに伸びていきます。息子さんが明日出荷するというレタスを畑からたくさん取ってきて、土産に持たせてくれました。



追記:
“家で家族に囲まれて”が難しくなってしまったのは、老衰でも病気でも、死が医学だけの問題にされてしまっているからではないかという気がします。いずれは食べられなくなる、という当たり前の自然な老化、老衰までが病気にされてしまうから、家で過ごしたくても過ごせないことになるのかもしれません。