ある日の早朝午前4時前に電話が鳴って、眠い目を擦りながら往診出動。
夜明け前のまだ真っ暗な時間帯です。
癌の終末期で 最後の時間を家で過ごしたい、との希望で退院して自宅療養されていた男性患者さん。奥さんが懸命の介護を続けておられたのですがその日、最後の呼吸をして旅立たれました。当院から診療だけでなく訪問看護にも毎日伺っていたので逐一様子は聞いていて、残された時間が短いことも既にお伝えしてあり、最後の時間を夫婦一緒に過ごされていたのでした。
前の日には遠くから親族も面会に来られていたとか。患者さん宅に着くと、その日の当番のナース・ヨーコが先に到着していて、奥さんといろいろ話をしていました。死亡確認のあと診断書を書いている間、奥さんが思い出すようにヨーコに話しかけます。
その昔、奥さんと知り合う前に御主人が全国放浪の旅に出ていたこと、あちこち滞在した中では仙台が一番良かった、と言っていたこと、御主人が若かった頃は ケンカっ早くて困ったこと、36年間ずっと連れ添ってきたこと、17歳の年の差カップルだったので一緒に出かけるとたいてい親子と間違えられてそのたびいつも(自分が)怒っていたこと、自分が死んだら、次男の自分が生まれ故郷の岐阜の代々の墓に入れるのだろうかと言っていたこと、かと思えば 樹木葬のパンフレットを大事にとってあって これにしてくれと言う意味なんだろうか、どっちにしたらいいんでしょう・・・迷うなぁ・・・・
旅立たれた御主人の前で、昔のことを思い出して話したり、はたまた 迷いの気持ちなどを 話したりされるのを横で聞いていて、死亡診断書を書き終えたあともしばらく留まってお話しを聞くことにしました。覚悟されていたとはいえ 御主人が亡くなって悲しみに暮れる奥さんに我々がしてあげられることは、今ここに留まって 話を聞いてあげること、そのチャンスは今を置いて他にはない、貴重な時間だと感じました。死亡診断書を書くだけであれば20分も滞在すれば十分だったのかもしれませんが結局1時間近くいろいろな話に花を咲かせました。亡くなられた御主人の前で、泣いたり笑ったりしながら話す奥さんの声が何よりの供養になるような気がしました。
グリーフ・ケアのことがよく言われますが患者さんが亡くなった後、遺族のためにこの時期にこんなグリーフケアをしなきゃ・・・
みたいな 何だかいかにも”してあげる”的な定型的グリーフケアになって、される家族の側にそれが伝わってしまうと心理的に負担になるのではないかと思ったりします。患者さんが亡くなった後も 残された家族の方が、患者さんとの思い出をいろいろ話したりするなかで一緒に過ごせた時間のことを思い出して 泣いたり笑ったりしながら気持ちが少しずつ整理されて、明日からまた頑張っていこう、と思える”心の支え”を強くする、そんなささやかな援助ができたらいいと思います。結果的にそれをグリーフケアと言うならそれでもいいです。
奥さんが玄関先まで出てきて深々と頭を下げて見送って下さる中を、帰途につきました。クリニックへ寄ったあと、夜から朝へとだんだん明るくなってくる中を車で走るみちすがら、前日、訪問看護から帰ってきたナース・ヨーコが教えてくれた 奥さんの書いたメモ書きのことを思い出していました。訪問看護にいったとき「いろんな思いが溢れてくる、その言葉を書き出してみたんです」といって書いたものを見せてくれたというのです。もらって帰ったというその紙は薬局からもらったと思われる調剤明細。その裏に、御主人の傍に付き添いながら書かれた言葉が並んでいました
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10月7日 AM 0:30
何も食べなくなりました
もうすぐですか
さよならですか
いやです このままでいいから生きていてほしい
さよならはいやや
もっと生きてほしい だめなんですか
私 もっとがんばりますから おねがいです
先生おねがいします
きのう 初めて言ってくれたんです
出ない声で 「あいしているよ、愛しているよ」って
言ってくれたん
私も「愛しているよ」って言った うれしかった
でも「ごめんなさい、ごめんなさい」って
私は、ごはんも何も食べないから、言ってはいけないことを言ってしまいました
何で言ってしまったのか、どうしたらいいのかわからない
言ってはあかんと思っていたのに
もっと生きてほしいから、今は後悔している
どうしたらいいか わからない
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言ってはいけないことを言ってしまった・・・としきりに言われていたので気になって奥さんに聞いたら、御主人が 「しんどいからもう何も(食事は)欲しくない・・・ 」と言ったとき、「しんどいのはあんただけじゃない、私だってしんどいのは同じなんだから
だから頑張って食べて!」そう言ってしまったことを後悔されていたのでした。
最期に向かって身体が準備しているので、次第に飲んだり食べたりができなくなってきます。事前に奥さんにそんなお話しをしてあったとしても気持ちとしてはやっぱり頑張って欲しい・・・大事な家族を失いつつある御家族の気持ちはそれを言葉に表すことができるかできないかの違いはあれど、きっと皆さん、こうなんだろうなと思います。
早朝午前6時前の東の空が白んでくる頃、車の窓を開けて澄んだ初秋の空気を感じながら人通りのない夜明けの街に車を走らせる・・・
在宅医には そんな1日の始まりの時間があったりします。
2016年10月29日